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心得19 安らかに逝くとは「自然に死ねる」ということ ~その②家で安らかに逝く方法~
今回は「家で安らかに逝く方法」というテーマです。
家で看取る場合、注意しなければならないのは「点滴」です。
毎日針を差し替えるのは痛く、医者の側も面倒なため、
大抵は身体のどこかの静脈に管を留めて四六時中、点滴
をすることになります。
そうすると、どうしても点滴の量がオーバーしてしまい、
身体が水膨れしてむくんでしまうのです。
そのむくみが肺に及ぶと肺は水浸しになるので、プールで
溺れたときのように呼吸は乱れ、咳やタンも出るという
大変な苦しみが生じます。
結論から言うと、点滴をしないで枯れ木のようになって
死んでいくのが一番ラクなのです。
ただ、一切点滴をしないというのは本人も家族も勇気と
覚悟が要ります。
何とか栄養を摂らせたいという思いも手伝って、やはり
点滴をしてしまい、患者さんを「溺死」させることになる。
話は少し変わりますが、医療では患者さんのためを思って
作り出した方法が、問題の種になることがよくあります。
例えば、鼻から食道、胃に至る管で栄養を流し込む
「鼻腔チューブ」、お腹に穴をあけて胃に直接チューブを
差し込んで養分や水分を送り込む「胃ろう」などがあります。
こうした強制的に栄養を与える方法がなかった時代は、
人は事故や脳卒中で昏睡状態に陥ったら、それで一巻の
終わりでした。
無理やり口に食べ物や飲み物を流し込むと、
肺のほうに入って肺炎で亡くなる。
栄養を与えなければ餓死が待っている。
しかしその代わり、植物状態で何年も生き続けることは
ありませんでした。
このようなことから、在宅医療なら現代医療のおせっかい
を受けずに自然に死ぬことができます。
そうした意味で安らかに逝くとは「自然に死ねる」という
ことだと、近藤氏は考えています。
<参考文献>
近藤誠(2012) 医者に殺されない47の心得 アスコム
家で看取る場合、注意しなければならないのは「点滴」です。
毎日針を差し替えるのは痛く、医者の側も面倒なため、
大抵は身体のどこかの静脈に管を留めて四六時中、点滴
をすることになります。
そうすると、どうしても点滴の量がオーバーしてしまい、
身体が水膨れしてむくんでしまうのです。
そのむくみが肺に及ぶと肺は水浸しになるので、プールで
溺れたときのように呼吸は乱れ、咳やタンも出るという
大変な苦しみが生じます。
結論から言うと、点滴をしないで枯れ木のようになって
死んでいくのが一番ラクなのです。
ただ、一切点滴をしないというのは本人も家族も勇気と
覚悟が要ります。
何とか栄養を摂らせたいという思いも手伝って、やはり
点滴をしてしまい、患者さんを「溺死」させることになる。
話は少し変わりますが、医療では患者さんのためを思って
作り出した方法が、問題の種になることがよくあります。
例えば、鼻から食道、胃に至る管で栄養を流し込む
「鼻腔チューブ」、お腹に穴をあけて胃に直接チューブを
差し込んで養分や水分を送り込む「胃ろう」などがあります。
こうした強制的に栄養を与える方法がなかった時代は、
人は事故や脳卒中で昏睡状態に陥ったら、それで一巻の
終わりでした。
無理やり口に食べ物や飲み物を流し込むと、
肺のほうに入って肺炎で亡くなる。
栄養を与えなければ餓死が待っている。
しかしその代わり、植物状態で何年も生き続けることは
ありませんでした。
このようなことから、在宅医療なら現代医療のおせっかい
を受けずに自然に死ぬことができます。
そうした意味で安らかに逝くとは「自然に死ねる」という
ことだと、近藤氏は考えています。
<参考文献>
近藤誠(2012) 医者に殺されない47の心得 アスコム